デカい後悔すんならいっそ大航海

ボイメン船に乗ったオタクのブログ

『GARO-VERSUS ROAD-』感想 〜このゲームをどう楽しむかは私たちの自由〜

はろーわーるど!(?)

今日は私の推し、BOYS AND MEN(ボイメン)勇翔が天羽涼介役として出演しているGARO-VERSUS ROAD-』について語ります!

以前、私個人のTwitterアカウントで牙狼をテーマにTwitterライブをし、フォロワーさんからのコメントを見ながらストーリーやキャラクター、アクションについて語るというなかなか楽しい配信をしました。その時の話も踏まえつつ、今回は第7話まで見て私が感じたことを中心に書きます。

ですので、正直ストーリーから離れた解釈も多いですし、「牙狼とはこういうもの」という前提を一旦忘れ素直に感じたことをまとめています。

※第7話までのネタバレ含みます!

 

 

牙狼VRから考える「自分を生きるということ」

第7話を見終え私が感じたことは「自分が生きる意味への問い」というクッソ重いテーマ!!!(重い)

天羽から空遠に対する言葉「あいつ(星合)はなんのためにお前を生かした」「俺には守るものがある、俺の誇りだ」

これまでの牙狼のシリーズからしたらこんなにも「自分中心な考え」はご法度のように思えますが、このVRという仮想現実をテーマにしているからこそ、自分を生きることの実感にフォーカスを当てられているような問いには見ているこちらにもずっしりと来るものがありました。

徐々に登場人物たちの背景も見え始めたのも合間って、仮にでも「自分を生きる」というテーマがあるのではと思い始めると、キャラクターそれぞれの守りたいものが必ずしも陰我として利用されるよな単に(悪い感情)ではなく信念をもって守りたいもの、貫きたいもののように思えてきます。

例えば、香月は本来の自分を隠し「なりたい自分」への執着が強いこと、南雲は水瓶という支配下から解放され「自分の力」で欲しいものを手に入れたいという思いがあるのかもしれない。日向が逃走し続けていることや、奏風は組織に入らず自分の力でトップを取りたいということもそれに繋がっているように感じます。

そして天羽はより強く、自分自身の力を信じ、自分の道は自分で決めたいという意思がこれまでのセリフや行動から強く感じられます。

ヤクザはもちろんのこと、奏風にさえ誘われても組織に入ろうとしないし、より強いもの(ホラー)にも向かっていくところから戦うことで自分自身の価値や存在意義を確かめ実感しようとしているのかなぁとさえ思います。とすれば、奏風との関係もお互いに互角に戦い合える相手として「自分の価値を実感するために必要な相手」とも考えられます。

この部分は同じ「友情」でも空遠と星合とは違うかたちだと思っていて、空遠と星合はぶつかるのではなく「守る」ことでお互いを繋げていた、必要としあっていたのかなと、空遠と星合の幼少時代のシーンや第6話の結末で感じました。

 

これまでの「牙狼」シリーズから見るとやはり守るべき人がいることが前提のヒーローだったことから空遠が「牙狼」の要素を一番持っているように見え、反対に「自分」が中心に置かれる牙狼VRに大きな違和感を感じることも間違い無いと思います。(実際にそれが「陰我」として利用されている雰囲気がありますからね…)

ただ私が考えたのは、様々な人生の選択ができるようになっている時代の中で今作の牙狼VRは「『自分』をどう生きるのか」と視聴者に問いかけているのではないかということ。今回のシリーズには、それまでにあった家族や恋人という存在(ヒロイン)がいないこともそう感じさせる要因の1つではないかと考えています。

 

第7話での友のログアウト(死?)によって葛藤をする主人公の空遠の姿は、それまで「誰かのため」の行動だったが故に、その「誰か」を失ったことで自分で自分の道を選ぶことができなくなってしまったように見え、天羽からすれば「このゲームの難しいことはよくわからない」、けど、目の前の敵(自分の命を奪おうとする何か)が目の前まで迫っているのにそれに向き合おうしていないことは、「生きること」を放棄していると見えたのではないだろうか。ただ苛立ちや怒りをぶつけたでのはなく、「叱咤激励」していると感じた人は多かったと思います。(天羽のキャラクター設定にある「熱血漢」とはこういうことか〜と納得)

 

これ以外にも第4回戦が始まる直前のアザミと空遠のやりとりにあった「(空遠)このゲームの目的はなんだ」「(アザミ)死ぬ意味は自分で考えて」

これも全く私個人の解釈ですが、ここでの「ゲーム」も「死ぬ意味」も「自分を生きること」と同義で、「生きる目的はなんなのか」「生きる意味は自分で考えろ」と、自分で自分の道を選択することを迫っているのではないかと捉えられそうです。

(アザミはそれをなぜ空遠に迫り、何を企んでいるんだって話ですが笑)

できれば空遠にはこれまで貫いてきた「誰かを守る」という正義も持ちながら、現実と向き合い、自分自身で選択し、変化(成長)していってほしいなと思いました。

 

「このゲームをどう楽しむかはお前たちの自由」

ここまで第7話に関する解釈と感想を好き勝手述べてきましたが、牙狼VRに対する感想・考察はTwitterなどで様々に見受けられ、その中にはこれまでのシリーズとの違和感を強く感じている感想も少なくありません。ですが、私としては、キャラクターの言葉や少しずつ進む展開から考えをめぐらせ、見ている人に何を感じさせようとしているのか、何を考えることができるのかとその余白にこそこの作品の面白さがあると思っています。「わかる」「わからない」だけで終わってしまっては勿体無いし、目に見える答え(結末)を待っているだけではこの作品の面白さには気づけないかもしれません。

 

朱伽のセリフにあった「このゲームをどう楽しむかはお前たちの自由」はまさに視聴者へのメッセージなのではとも思いました。

 

牙狼GARO-VERSUS ROAD-

様々な解釈ができる面白さもありながら、これからのストーリーはこれまでの「牙狼」シリーズにつながるような展開が予告で始めています。また、南雲が突き詰めた「ガロはもういない」ということ、「魔界」が存在することが何を意味し、今後の 『GARO-VERSUS ROAD-』とどう関わっていくのかは気になるところです!

個人的に気になっているところ
  • ホラー含め、主要キャラクター以外はコントロールされているように見えること。
  • その中でもなぜ空遠(または最後まで残っている主要キャラクター)をアザミたちはターゲットにしているのか。
  • 牙狼VRは正式には「GARO」で、作中でも出てくるのはカタカナの「ガロ」であること。
  • 天羽くんのペット コテラはいつから飼われているのか??? 

 

 

このようなご時世に「自分を生きること」を考えさせる牙狼VR恐るべし。

 

garo-project.jp

 

ちなみにですが、私は牙狼VRの出演者 天羽を演じる勇翔のファンで、元々特撮好きだったものの勇翔さんの影響で初めて牙狼シリーズに触れました。去年(2019年)の勇翔のソロイベントで散々牙狼シリーズの布教を推しから受け、冴島家のシリーズをひと通り履修した後に、映画館で「牙狼 月虹ノ旅人」を(3回)見に行った(超)牙狼新参者です。