『GARO-VERSUS ROAD-』#12 感想 〜VERSUS ROAD〜
※ネタバレ含みますので#12視聴後にお読みください。
たった今、牙狼VRが終わった(TOKYO MX での放送終了後)
いや、どうだろう?終わったのか?それとも始まったのか??
そんな終わり方だった
期待と、ショックと、いろんな感情が入り混じってる。
あぁ、推しは魔戒騎士にはなれなかった。なって欲しかった…鎧を着て戦う姿を見たかった。。空遠に切られるイメージはなかったけど最後に葉霧に切られたことの悔しさがたまらない。だったら空遠に切られた方がよっぽどマシだったんじゃないかと。
天羽の死は空遠を最後の最後に怒らせた。
必死で生きようと戦った人たちの思いが繋がった最後が空遠だったことに間違いはなくて、そんな空遠を黄金の鎧は「守りし者」として選んだようだった。
葉霧との対決の勝利のカギはこれまで生きようと戦ってきた人たちの思いだった。
見覚えのある構え、セリフ、空遠が思いをかたちにしていた。
鎧を纏っての葉霧との戦いは今までにないほどの「ゲームの世界」だったのに、
戦いの後に現れたのは一面真っ白な雪山で(彼らはずっとこんなところで戦っていたんだろうか)と想像し悲しみが増した。
同時に現実もそうだよなぁと、ゲームの世界から現実へ戻ったときの「冷たさ」が雪景色で表されていた気がして妙にリアルだった。
最後にその雪の中を一人で歩き始める空遠の姿で物語の幕を閉じたのはむしろ"VERSUS ROAD"の始まりなんじゃないかと思った。
自分がどう生きるのか。
黄金の鎧に選ばれたにも関わらずその道を選ばずに「自分の道」を歩き始めた空遠を見てこのドラマは最後まで「生きること」を問う物語だったなと思った。
これまでの牙狼シリーズのような誰かのために戦い、守り、鍛錬を積み続けるヒーローもちろんカッコよくて大好きだけど、特別な力や伝統や血筋はない、悲しみや苦しみ、欲望を抱え、もがきながら必死に生きようとする登場人物たちにを見てみんな自分の中に「正義」を持って生きていたのかな、それってみんな一人一人がヒーローとして戦っていたんじゃないか、とか想像した。
最後に黄金騎士としての道を選ばなかった(と私は解釈した)結末が私は最高に好きだった。そう、空遠は空遠として生きてくれ。
この物語を牙狼でする意味があったのか、鎧を着て戦わなくていいのか?という感想も持たないこともないがそれではまるで見ているこちら側が「鎧」に執着しているようにも感じてしまいきっとそうじゃないんだろうなと思っている。
これまでのシリーズ全てを見てきた推しであり、天羽を演じた勇翔さんが最後まで言い続けていた「これまでの牙狼とは全く違う世界観だけど、牙狼の魂は入っている」という言葉を改めて思い出すと、牙狼は鎧を着て戦うことではなく、「魂」なんだな、と。
『GARO-VERSUS ROAD-』が伝えたかったことって「思いを守る」という牙狼の魂と、新たなシリーズのテーマとして「自分を生きること」だったのかな。
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時間なのか予算なのか、あえてなのか、理由はわからないけれどとにかく説明が少ない作品であったことは間違いなくて。そのおかげで毎週のように「予想大会」が行われてたし、多分話についていけず脱落した人も結構いたんじゃないかと思う。それくらい視聴者に委ねられる部分が多い話だった。
以前、Twitterでもつらつらと書いたけど毎週30分という時間と、登場人物の人数に対してやたら早いスピード展開は昨今の「ドラマの見方」に合わせた作りになっていたんじゃないかと推測した。
私自身は推しが出ている作品ということと、コロナの影響もあり特に前半は休日も自宅にいる日が続いていてかなりじっくりTVの前でドラマを楽しんでいたけれど、正直平日にリアルタイムでドラマを見る機会はほとんどなくなってしまっていて、録画にしろ配信にしろ自分の好きな時間に見ることがほとんどだった。
この展開のスピード感や説明が少なく視聴者の考察で盛り上がっていく感じはすごく今っぽい作りだなと思ったけど、最終回も終わり結果的にあれはどうなった?これはどういう意味だった?みたいなことが山ほど残ったままでそれをどう消化するかは悩みどころではある。
(どんな作品でもそうですがこういった部分を作品の「粗」として見るか、「余白」として見るかで随分と物の見方が変わると思っていて、私はどちらかというと後者で考えるタイプなのですがこれは本当に人によりけりだと思います…)
2019年「月虹の旅人」では牙狼のオリジナルでもある冴島家の物語を描き、2020年の15周年という節目でこれだけ大きなチャレンジをしたのならこの先もまだまだ「牙狼」シリーズは続いていくんじゃないかと思った。